教房の遺児房家は明応3年(1494)18歳で元服し、正五位下、左近衛少将になった。10才前後で元服するのが例になっている摂家の子としては、ずいぶんおそい元服である。これは生後まもなく仏門入りが決まっていたのに、容易に実現しなかったことに関係があるようである。
房家は文明9年(1477)幡多の武将加久見宗孝の娘を母として生まれ、翌10年には叔父尋尊の孫弟子として仏門(大乗院であろう)入りが決められた。これは当時の貴族の慣例として、家督を継ぐもの以外の男子(女子も多くが)は仏門に入ることになっていたためである。一条家の家督は6年前すでに教房から弟の冬良に譲られることに決まっていたので、以下に教房の実子であっても、もはや家督相続者となることはできなかった。そればかりか、4歳の文明12年(1480)には早くも父に死別するなど、房家の幼時は余りにも暗く寂しいものであった。しかも世の中は不穏であった。 |
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一条房家寄付『寒山拾得』図
一条房家の菩提寺藤林寺に伝承されたもの
(四万十市郷土資料館所蔵) |
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