小京都 四万十市 歴史 一条教房 一条房家 一条房冬 一条兼定 幸徳秋水  by-中村ソーイング
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 小京都中村関連年表
 一条教房(土佐一条家開祖)
 一条房家(初代)
 一条房冬(二代)
 一条房基(三代)
 一条兼定(四代)
 一条内政(五代)
 一条政親(六代)
 一条神社
 玉姫の墓
 咲かずの藤
 御化粧の井戸
 大文字の送り火
 奥御前宮
 東山
 鴨川
 京町
 桜町
 紺屋町跡
 たて町跡
 よこ町跡
 小姓町
 中村城跡
 須賀神社(祇園さん)
 正福寺跡
 東ノ城跡
 為松城跡
 中村山内家屋敷
 中村城跡の石垣
 中村目代跡
 西小路氏土居跡
 樋口真吉邸跡
 木戸明塾跡
 幸徳秋水
 安岡良亮邸跡
 行余館(藩校跡)
 遠近鶴鳴生家跡
 中村貝塚
 小姓町跡
 為松山の山裾に広がる町名で桜町に隣接しています。山内3万石時代に、主君の側近く仕えて雑用などつかさどる小姓たちの屋敷があったところ。幕末から明治にかけて学校・郡役所・公会堂などが建てられ街の文教街として発展する。
 石碑に書かれていること
小姓町は、桜町に隣接する為松山の山裾に広がる町名で山裾に広がる町名で、その由来は山内3万石時代に、君主の護衛を任務とする小姓組みの屋敷が配置されたことによります。当時は、この町の南角に「町会所」が置かれ、東方に広がっていた町人街の支配の要であったと考えられています。その後、万治、寛文の大洪水や自然災害で荒廃した事もありますが幕末から明治にかけて、学校や郡役所、公会堂などが次々と建てまれ官公庁や学校が並ぶ文教街として発展してきました。

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