小京都 四万十市 歴史 一条教房 一条房家 一条房冬 一条兼定 幸徳秋水  by-中村ソーイング
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 小京都中村関連年表
 一条教房(土佐一条家開祖)
 一条房家(初代)
 一条房冬(二代)
 一条房基(三代)
 一条兼定(四代)
 一条内政(五代)
 一条政親(六代)
 一条神社
 玉姫の墓
 咲かずの藤
 御化粧の井戸
 大文字の送り火
 奥御前宮
 東山
 鴨川
 京町
 桜町
 紺屋町跡
 たて町跡
 よこ町跡
 小姓町
 中村城跡
 須賀神社(祇園さん)
 正福寺跡
 東ノ城跡
 為松城跡
 中村山内家屋敷
 中村城跡の石垣
 中村目代跡
 西小路氏土居跡
 樋口真吉邸跡
 木戸明塾跡
 幸徳秋水
 安岡良亮邸跡
 行余館(藩校跡)
 遠近鶴鳴生家跡
 中村貝塚
 鴨川
 
四万十市は応仁の乱で前関白一条教房が都の戦火を避けて幡多庄(現在の四万十市)に下向し、13年間に渡って京に模した街づくりをする。街は碁盤目状に広がり祇園さん、京町、鴨川、東山などの地名がある。鴨川はその一つ。四万十市は清流四万十川・その支流後川に囲まれ、その佇まいは最も京に似ている。土佐一条氏は5世106年にわたり戦国の混乱をよそに京文化の影響を受けて、みやびやかな独特の文化が栄えた。現在でも、ところどころにその古都の面影を伝えている。
 小京都
 土佐一条氏時代の中村が「土佐の京都」とか「小京都」と呼ばれたということは広くいわれていることである。これに関して立命館大学教授林屋辰三郎氏の説があるので引用させていただく。
 「日本中に小京都と呼ばれるとこるが、あちこちにある。周防の山口は、その代表格であるが、すぐとなりの石見の津和野、東は飛騨の高山、南は土佐の中村など、こうした小京都は、どんなところが小京都的なのだろうか。(・・・中略)」
 林屋教授によれば「小京都」は、中世の地方領主がその居住地の権威を高めるために、日本の都である京都の様子を真似たものであるということになるようである。
 そこで中村の京都的な点を挙げてみると、先ず自然環境である。東、北、西の三方を山で囲まれ、南が開けていること、四万十川と後川の合流する様は桂川と加茂川のそれに似て、加茂川に見立てられる後川(上流に鴨川という地名がある)の東に沿うて連なる山脈には東山の面影があり(今も東山という)その北に聳える高石見の峰(中腹に石身寺があるので石見寺山と通称している)は比叡山そのままの形である。地名には逢坂もあり鳴滝もある。 
 次に京都から勧請したという神社には祇園社(明治初年須賀神社と改称したが中村の人々は今も昔のままに「お祇園さん」と呼んでいる。)を始め、天神・愛宕・八幡・日吉などがある。中でも八幡宮(今は不破八幡宮という)の本殿は永禄年間一条氏の造営であることが確認せられている国の重要な文化財である。
 寺院も多く建立せられていたようで、一条氏に直接関係のあるものをあげると妙華寺(前関白一条教房の追号と同じ)円明院(土佐一条氏二代房冬の追号と同じ)光寿寺(土佐一条氏三代房基の追号と同じ)大円寺(普光院(房冬の弟月山が住持であった)などがある。
 以上挙げた点からも、中村が小京都的であることが判ると思うが、それにも増して京都的な雰囲気を醸し出したものに、一条氏をはじめ多くの公家たちの、優雅な服装や生活があったと思う。この点では何処の小京都よりも勝れていたであろう。
(中村市史より引用)

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